カステラの名前がどこから来たか知っていますか?驚きの歴史と起源を解明! | ちらほら食べ物ブログ

カステラの名前がどこから来たか知っていますか?驚きの歴史と起源を解明!

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 カステラの名前の起源とその歴史的背景 

カステラ

カステラは、卵、小麦粉、砂糖を泡立てて作る甘くてしっとりとした黄色い生地のお菓子です。このケーキのような食感と日本茶との相性の良さから、和菓子として広く親しまれていますが、なぜこのお菓子がカタカナで名付けられたのでしょうか。

 カステラの歴史 

カステラの名前には興味深い歴史があります。16世紀の南蛮貿易を通じて日本に伝わったとされ、名前の起源には複数の説が存在します。

一つの説によると、カステラは元々カスティーリャ王国で作られていた「カスティーリャ・ボーロ」というお菓子から名付けられました。カスティーリャ王国は現在のスペイン、イベリア半島にかつて存在し、このお菓子がポルトガルを経由して日本に伝えられた際に「カステラ王国のお菓子」と説明され、その名前が日本で広まったとされます。

また、「カスティーリョ」(スペイン語で城)という言葉から派生したという説もあります。スペインではお菓子を作る際に、卵白を「お城のように高く」泡立てることから、その名前が付けられたとされています。

さらに、カステラの原型とされる焼き菓子には、ポルトガルの「パン・デ・ロー」やスペインの「ビスコチョ」があります。これらのお菓子はもともと乾パンから進化し、よりしっとりとした食感のお菓子へと変わっていったと言われています。

このように、カステラには多様な背景が存在し、単なるお菓子ではなく、豊かな歴史を持つ文化的な象徴とも言えます。

カステラ

 日本でのカステラの歴史 

カステラの名前が「カスティーリャ」や「カスティーリョ」から来ていることはご存じですか?この名前は日本に伝わった際に付けられたもので、カタカナがない時代には外来語を表すために「加須底羅」や「家主貞良」といった漢字が当て字として使用され、「かすていら」と読まれていました。

カステラが日本に伝わったのは16世紀の安土桃山時代で、ポルトガル人を通じて南蛮貿易によりもたらされました。この交易によって鉄砲やキリスト教と共に、カステラや金平糖など多様な南蛮菓子が日本に伝わりました。初期のカステラは蒸し焼きで作られ、小麦粉、砂糖、卵を同量で混ぜて焼かれていましたが、日本人の味覚に合わせて進化し、甘みを増すために水飴を加えたり、温度調整ができる引き釜を使用するなどの改良が加えられました。

特に長崎は国際貿易港として栄え、「長崎カステラ」としてその名が知られるようになりました。長崎カステラはそのしっとりとした食感と、焼き上がりに底部に沈んでジャリジャリとした食感をもたらすザラメが特徴です。

長崎にはカステラの老舗が多く存在します。寛永元年(1624年)に創業した福砂屋は、ポルトガル人から直接製法を学んだとされ、カステラの本家として名高いです。明治33年(1900年)に創業した文明堂や天和元年(1681年)に創業した松扇軒も、長崎三大カステラと称され、長崎カステラを日本独自の和菓子として確立させました。
パン・デ・ロー

 まとめ 

カステラはもともと洋菓子ですが、長い時間をかけて日本の伝統的な和菓子へと進化してきました。南蛮貿易を通じて長崎に伝えられ、「カスティーリャ王国のお菓子」として知られるようになったこのお菓子は、現在では日本のお茶うけとしても欠かせない存在になっています。

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